こんにちは。入梅とあって、ジメジメした日が続きますね。
艶消し塗装にはもってこいの湿度です。^^)
さて、学生時代は(今思えば、とても損したなー)鉄道本体はそっちのけ。旅行の手段としての鉄道利用者になっておりました。
一応、南紀を除く全国を旅していました。その費用稼ぎにと、たまたま先輩に声をかけられて行ったのが“上野駅”の「鉄道郵便」のアルバイトでした。
前日の午後4時から翌朝7時までの勤務で、終列車から始発までの数時間に仮眠を取る、といったスケジュールでした。
仕事(作業)は1班5~6名に分かれて、確か4~5班あったような・・・。
アルバイトは各班に1~2名配属されます。
内容は、トラックで運ばれてきた郵便物をターレットに移し変え、夜行列車の郵便車への積込みです。
鉄郵から貸与された紺色の制服はブカブカで、かっこ悪いし、作業を早く終える事に夢中でした。
ですから、当時の車両がどの形式であったか、室内の仕組みや色がどうであったか、は記憶に残っていないのです。(今から思えばとても残念なことですが・・・)
郵便物はズタ袋毎に列車別、駅別に別れていたと思います。
それをターレットに積んで、デッカい荷物用エレベーターで上がり、小便くさい常磐線下の通路から各ホームに運んでいました。
小便くさい、で思い出しましたが、当時の上野駅はどこへ行っても臭かったですね。
当時の上野駅ではドラマ「駅」のような、様々な人間模様が繰り広げられていたのでしょうが、学生運動華やかりし時代の真っ只中、デモにも集会にも参加しないで“アルバイト”をやっている自分は肩身が狭い思いでした。
夜食用に買っていた“コッペパンにコロッケを挟んだ”サンドは当時25円でした。
そのお店はガード下の小さな店が並んだ片隅にあって、オバチャンがたっぷりとマーガリンを塗ってくれて「頑張ってネ!」といつも声をかけてくれました。
つづく